STAFF'S VOICE

FINALを決断した経緯

これは、9年間の長きにわたってライダーの皆様、スポンサーの皆様に支えられ育ってきたイベントとして、説明責任を果たす必要があると感じ、代表矢浪に代わって運営スタッフである私草野(93no)の文責で書かせていただくものです。今までOYA-Z BMX JAMをご支援いただいたライダーの皆様、スポンサーの皆様に感謝を申し上げるとともに、FINALを決断した経緯について、少しでもご理解いただけたら幸いです。

はじめに─。
私とOYA-Z BMX JAMの出会いは2010年のことでした。ingに通い詰めていたある日のこと、ヒサシ君から「そろそろJAMに出たらどうすか?」と誘ってもらったのがきっかけ。「とりあえず見学しに行こう…」くらいの軽い気持ちで当日を迎えると、心の準備もできないまま勝手にエントリーされてるワケです(笑)そして、全国のライダーの方々の素晴らしいライディングを目の当たりにし、緊張が一気に高まります。気づけば自分の番です…。できるのは50cm未満のバニーホップと低空エアターン…。もうヤケクソです。ワケも分からず、パーク内をひたすら漕ぎまくりました(笑)しかし何故か、大恥をかいたと同時に妙な爽快感があったのを覚えています。そしてなんと…年齢加点で賞品としてタイヤをいただいてしまったのです!OYA-Z BMX JAMの醍醐味を肌で感じた一日でした。

矢浪から、スタッフのオファーをもらったのはその翌年(2011年)のことです。「今年のフライヤーよろしく…」くらいの軽い誘いでしたが、「あのイベントに関われるなら!」とモチベーション旺盛に返事したのを覚えています。

そして3月11日、東日本大震災が起きました。矢浪は仕事に奔走していて、しばらく連絡が取れない状況が続きましたが、連絡が取れるようになってからは、「何があっても今年はやるよ!」ということを言い続けていました。

この頃から、矢浪のなかで「若手の育成=未来への展望」のようなイメージが膨らんでいきました。震災の影響は大きかったと思います。「いつの日か、東北から世界へ挑戦できるライダーを出したい…」、そんな夢も語っていました。グローバル志向というと大げさですが、そういった方向へ向かっている印象でした。KOYA-Zクラスが新設され、KIDS表彰を大々的に謳ったのも、その翌年(2012年)からです。私たちスタッフもその意向に賛同し、それを推進すべく務めました。そんな矢浪の判断が功を奏したかどうかは分かりませんが、自然と参加ライダーの年齢は若年層へ広がり、エントリー数も増えていきました。OYA-Z BMX JAMは、幅広い年齢層のライダーに親しまれ、多くのスポンサーの皆様に支えらるイベントへと成長したのです。

しかし同時に、それによる弊害もでてきました。エントリー数が増える一方、スケジュールが非常に窮屈なものになってしまったのです。もはや世代ごとに区切らなければJAMが成立しない状況となり、年々クラスを細分化せざるを得なくなりました。OYA-Zライダー同士で、“年齢を問わずBMXを楽しくまったり乗れる”をコンセプトに掲げて始まったイベントなのに本末転倒です。※2011年まではクラス分けも無く、閉会式の前に鬼ごっこ(Foot Down)をする余裕すらあったのです(笑)

これには、矢浪も手厳しいご意見を頂戴していたようです。私たちスタッフも、それを真摯に受け止め、善処するよう努めました。グローバル志向か、原点回帰か…。両立することが困難な二つの道…。矢浪のなかで相当な葛藤があったと思います。

そんななか迎えた、2013年のある日のミーティング。郊外にあるスターバックスコーヒーだったと思います(笑)矢浪の口から初めて「辞めようと思う」という言葉を聞きました。その時は、私ともう一人のスタッフで、必死に説得した記憶があります。

ライダーの皆様、スポンサーの皆様のご支援もあって、2013年開催、2014年開催を無事に終える事はできましたが、エントリー数が増える一方で、“楽しくまったり乗れる”OYA-Z BMX JAMをつくる、という課題は残されたままでした。イベントに限らず、ものづくり等もそうですが、すべての人に満足していただくことはきわめて困難です。矢浪も、私たちスタッフも、最大公約数的な答えを模索することで精一杯でした。今思い返せば、その頃が「グローバル志向か、原点回帰か…」という葛藤のピークだったのかも知れません。

今年、2015年はベローチェでした(笑)矢浪の他に私を含め4名のスタッフが参加したミーティングでしたが、2年前と同じ「辞めようと思う」という言葉を聞きました。そのとき、私たちでは計り知れない何かがあるに違いないと察しました。2年前のように、必死で説得する余地がないように思えました。フライヤーに「FINAL」の文字を刷ってしまえば、もう後戻りできません。

ここがリーダーシップの難しさであり、辛さでもあると思いますが、私たちスタッフは、矢浪の“葛藤”という領域には決して立ち入ることはできません。意見を交わすことはできても、それ以上立ち入れない領域があるのです。何故ならば、誰かがそこへ立ち入ることは、リーダーの交代に他ならないからです。最後の決断は矢浪にしかできないことなのです。

私自身、そうそう終わることのないイベントだと思っていました。きっと、他のスタッフもそうだったと思います。ましてや、毎年ご参加いただいていたライダーの皆様や、スポンサーの皆様からは「勝手に終わらせるな!」とお叱りを受けても仕方のないことだと思います。

しかし、こればかりは矢浪でなければ分からない苦渋の決断だと思いますし、スタッフ一同も毎年、精一杯取り組んで来た結果ですので、ご理解いただければ幸いです。あらためて、今までご参加いただいたライダーの皆様、ご支援いただいたスポンサーの皆様に感謝申し上げます。

そして、私のきわめて個人的な話しです。OYA-Z BMX JAM、矢浪、そしてたくさんのライダーとの出会いから、本当に多くのことを学びました。しかし、スタッフとして参加しているにもかかわらず、前夜祭や後夜祭に姿を見せないなど、「なんでアイツがいないんだ?」という疑問を持たれた方もいらっしゃるかも知れません。もちろん、身軽な独身であればフルで参加して、浴びるように飲みたい!というのが本音ですが、身体の弱い子どもを持つOYA-Zという責務を果たすため、思うように行かない…というのが実状です(他のスタッフも同様に仕事や家庭を持ち、そのなかで可能な限りの協力をしています)。しかし、そういったことが「協力的でないスタッフがいる」という印象をつくり、FINALになった理由として「スタッフ間でトラブルがあったのではないか」という憶測を生む結果となってしまったことを深くお詫び申し上げます。※はっきり言いますが仲は良いですよ。仕事でもないのに仲が悪けりゃやってられませんよ!(笑)

そんな状況の私でもスタッフの一員として、毎年声をかけてくれた矢浪の寛容さと柔軟さこそが、OYA-Z世代の魅力であり、OYA-Z BMX JAMの魅力のひとつではないかと思います。

最後に─。
現在、スタッフが一丸となり、「OYA-Z BMX JAM 2015 FINAL」を盛大に開催し、悔いの残らぬよう幕を下ろすべく準備をしている最中です。今までご参加いただいたライダーはもちろん、FINALにして初めて!というライダーも大歓迎です!!9月20日・21日、寒河江スケートパークでお待ちしております!!!


2015年9月8日
OYA-Z BMX JAM運営団体 草野(93no)